出会ってから24年。菅大智と奥山利徳のふたりは、いかにしてゴールデンシルバーズとなり、いかにして1stアルバム『Yesterday And Today』を完成させたのか?ふたりの歩みと現在の思いに迫るため、ロング・インタビューを敢行!今まで明かされなかった数々の秘話が白日の下に!?
Interview & Text by 竹内伸一 / Photo by rei
─ 第1回 デトロイト中学2年、初邂逅 ─ロックやるべ!8ビートボーイズ
──今回は1stアルバム『Yesterday And Today』を記念しておふたりに集まっていただき、改めてお話をうかがいます。ビールでも飲んで口を滑らかにしつつ、大いに語っていただければ。まずはカンパイ!!
カンパイ(苦笑)。
カンパーイ!(取材場所がカラオケボックスのため)最後は「サライ」を歌いましょう!
──「サライ」の前にお話を(笑)。まずはアルバムの発売に先駆けて「スージーキューティー」のミュージック・ビデオが公開になりました。
沼津の浄水場で撮影しました。1日で撮影したんですが、正直大変でした。何十回も同じことをしましたね。
朝も早くて……正直、よく覚えていません(苦笑)。
ドラム・セットを2台持って行ったのでツーバスでも撮影したんですけど、ツーバスなんてまともにやったことがなかったので、どこを叩いていいのかわからなかったです(笑)。
──既にYouTubeにて公開されておりますので、ミュージック・ビデオは別途ご覧いただくとして、今回はゴールンシルバーズの歴史に迫っていきたいんですが、そもそもおふたりは中学校の同級生なんですよね?
クラスは別でしたけどね。
彼は中学に入った頃にはもうギターがかなり上手かったんですよ。当時は、というか僕らの地元はヤンキーというかちょっと悪そうな人たちはギターをやる風潮がありまして、そういった先輩からも一目置かれる存在でした。
今と同じくらいは弾けました。中学の頃から全然上手くなっていない(笑)。
中学1年のときにはThe Beatlesのコピー・バンドをやっていたよね。当時の地元ではかなり早熟。小学4年のときに有頂天のファンクラブに入ったんだっけ?
そう。ギターは、姉がやっていて、それを借りて3年生くらいから練習していました。でも、姉弟ゲンカになると“ギター貸してあげない!”って言われて(笑)。それで、6年生の頃に自分のギターを買いました。
──有頂天のファンクラブに入ったのもお姉さんの影響ですか?
どうだったかな。ブルーハーツも大好きだったんですけど、有頂天に関しては多分テレビで見て“面白い音楽”だと思ったんでしょうね。僕にとって音楽は“面白い”ものなんですよ。で、ファンクラブに入ったのは、入会しないと聴けない音源がほしくて。当時、ソノシートでしたけど(笑)。
小学校のときにすでにバンドもやっていたんでしょ?
いや、バンド名だけ付けた感じ。さすがに周りに楽器ができる人がいなかったんで、僕とヴォーカルでB’z形式で(笑)。
お菓子の缶にBB弾を入れて、スネア・ドラムみたいにしていたのは、その頃じゃなかったっけ?
それは中学生。そういうのを使ってひとりで多重録音していました。
──MTRなどを持っていたんですか?
いや、普通のコンポのカセット・デッキでオーバーダビングを繰り返す手法です(笑)。
最終的に最初に録音した音が聴こえなくなっちゃうやつだね(笑)。
──中学ではクラスが違ったという話が出ましたけど、バンドをやろうということで知り合ったんですか?
そうですね。彼がやっていたThe Beatlesのコピー・バンドのベーシストが2年のクラス替えで同じクラスになりまして、それで一緒にバンドをやらないかと。最初の2週間は“ザ・サンフランシスコ・ザビエル”というバンド名でした(笑)。練習は月1くらいだったかな。僕にも姉がふたりいまして、長女が吹奏楽部でドラムをやっていたんです。それを見て“カッコいい!自分もやりたい!”と思って、僕も中学に上がって吹奏楽部に入ったんです。次女も吹奏楽部で打楽器をやっていたんですが、彼女はプレゼンテーション能力に長けていて、僕が入部したら“弟もドラムを始めたんだし、買って!”と親を説得しまして(笑)。通販でドラムを買ってもらって、実家の小屋に置いて練習していました。中学1年から始めたので……今思うとぜんぜんできていなかったんですけど、中学2年のときにはそこそこドラムが叩けたので、一緒にやろうと誘われたんです。それにドラム・セットを持っている人も他にはいませんでしたしね。
──初めて一緒にバンドをやったときのことは覚えていますか?
エレキ・ギターを弾く人と初めて一緒に演奏したんですよ。なるほど、ロック・バンドってこんな感じかと思いましたね。最初はブルーハーツのコピーをやってました。
──最初にコピーした曲は覚えています?
なんだろう。覚えてる?
「ハンマー」とか「人にやさしく」かなあ。ブルーハーツは4枚目のアルバムくらいまではほとんどコピーしたと思います。1年くらいブルーハーツをやって、それからオリジナル曲をやるようになりました。そうしたら、彼が「バンドやろうぜ」(編注:宝島社/2004年休刊)っていう雑誌の企画に応募しまして。BAKUの前座をやるアマチュア・バンドを募集していたんです。あれ、気づいたら応募してたよね?
ちゃんと相談したよ。応募用の写真をみんなで撮ったでしょ。
そうだ、トイレで撮った!The Jamをイメージして(笑)。なんでか合格して、中学2年の春休みに仙台のライヴハウスに出演しました。キックの“ドーン”というローに感動したのを覚えています。PAを通さないとああいう音は出ないですから。そうしたら編集部の人に気に入られて、中学3年の夏休みに渋谷eggmanに誘われてライヴをやりました。
で、その翌年には渋谷公会堂に出たんです。
BAKUが解散してしまって、そのヴォーカルだった谷口宗一さんが、同じようにアマチュア・バンドを集めたイベントを渋公でやったんです。恥ずかしいんですけど、そのときの演奏が音源になっているんですよ(笑)。
(菅が持参したPCを指さして)そこに入ってないの?
入ってないよ!でも今なら笑って聴けるかも。でもまあ、僕らのピークがこの渋公だったわけです(笑)。
──その曲は、どんな感じだったんですか? サウンド的に今に通じるものがあります?
ないと思います(笑)。
でもゼロではないんじゃない?当時は8ビートのパンクが好きで……。
いわゆるビート・パンクだよね。
グレート・リッチーズとかTheピーズとかが好きで、そういう感じでした。当時のライヴは酷いもんでしたよ。奥山はダンボールでギターを作ってきて、それを最後にメチャクチャに壊していました。Pete Townshendを真似して(笑)。あとは全員キャッチャー・マスクを被ってライヴをやったり(笑)。でも、ちょっとバカっぽいというか、面白さがあるというか。そこは今にも通じるんじゃないでしょうか。ちょっとひねくれている……って自分で言ってしまうのもどうかと思いますけど(笑)、カッコいいことやクサいことを素直に言えないタイプなので。“愛してる”なんて言えないよね(笑)。言ったことある?
どうかなあ(笑)。
ゴールデンシルバーズ

奥山 利徳(ギター&ボーカル)、菅 大智(ドラム&コーラス)による2人組のロックバンド。1977年、秋田県の南に位置するパンクロック発祥の街・デトロイトにて出生。
デトロイト中学(校歌がLAUGHIN’NOSEの「GET THE GLORY」)2年生の時に出会いバンドを結成。メンバーとバンド名を変え続けながら、以来二十数年経過。
2006年、クダラナさのあまり愛想を尽かされ遂にメンバーは2人だけとなりゴールデンシルバーズを名乗り始める。(ライブはサポートベーシストを交えての3人編成)
2012年から菅がドレスコーズに参加するためにゴールデンシルバーズは音楽活動を休止、楽器をグラスに持ち替え飲酒サークルとして都内を席巻する。2014年9月に菅がドレスコーズを脱退したため同12月24日にライブ活動を再開。
スージーキューティー Music Video
1st Album『Yesterday And Today』

2015.10.21(wed) Release
redrec/sputniklab inc.
RCSP-0062 ¥2,400-(本体+税)
- 【収録曲】
- M-01. 悲しき残念賞
- M-02. 人喰い族
- M-03. スージーキューティー
- M-04. オリワモウダミダ
- M-05. Dr.スケベハカセの秘密の診療所
- M-06. シーマイソウル
- M-07. ヤンナッタ
- M-08. ひるね
- M-09. アブラアセ
- M-10. ロックンロール
- M-11. ヒップス・アー・オールライト
- M-12. キーポンバーニン