1stアルバム『Yesterday And Today』発売記念 誰もしてくれないのでゴールデンシルバーズ勝手に12,000字インタビュー

ゴールデンシルバーズ

出会ってから24年。菅大智と奥山利徳のふたりは、いかにしてゴールデンシルバーズとなり、いかにして1stアルバム『Yesterday And Today』を完成させたのか?ふたりの歩みと現在の思いに迫るため、ロング・インタビューを敢行!今まで明かされなかった数々の秘話が白日の下に!?

Interview & Text by 竹内伸一 / Photo by rei

─ 第2回 美味いラーメンの都、大東京 ─上京とバンド結成と解散と

──プロフィールによると96年にそろって上京ということですが、バンドをやるために出てきたんですか?

僕は進学、彼は就職ということで。

名ばかりですけどね(笑)。

両親には申し訳ないのですが、今思うと東京に出てくる理由がほしかったのかもしれません。ロックンローラーっぽく親とケンカして、盗んだバイクで走り出しながら東京にくるくらいの男気があれば良かったんでしょうけど、“お前も東京に行くの?じゃあ、東京でも一緒にバンドやろう”くらいのテンションでした(笑)。それで、たまたま最初に住んだところが近所だったんです。川をはさんで向かいくらいのところで。出てきたばかりで友達も少ないので、最初は彼と秋田出身者を集めてバンドを始めました。

それがモスクワオリンピックです。ちょうど渋谷系……ちょっと下火にはなっていたんですけど、我々も洗礼を受けまして、ネオアコをやろうと。ただ、もう1人のギタリストはジャズも得意で、彼はすごく良い曲を書くんですよ。一方の僕はネオアコ&ガレージっぽい曲を作っていました。今思うとライヴを見ている人は“?”だったでしょうね(笑)。

テイストの違う曲が交互に出てくる感じだったからね(笑)。ガレージっぽい音楽が好きな人は、そっちはいいけど、急にポップな曲をやられても、と思ったでしょうし。さらに、ライヴの最後はThe Whoみたいに必ず爆発して終わるという(笑)。

爆音になってね(笑)。僕の中ではスコットランドのOrange Juiceみたいなバンドをイメージしていて、Orange Juiceってベースが全然グルーヴしないんです。“あ、グルーヴがない方がかっこいいんだ”って間違った解釈をしてまって(笑)。

そうだったんだ。それは知らなんだ(笑)。

モスクワオリンピックも、弾いたことのない人にベースをやってもらいました。自分の中ではちゃんとコンセプトがあったんですよ。ライヴハウスの人から“ちゃんとやれ”って言われたけど(笑)。自分では、これにはちゃんと意図があるんだと思い込んでいるから、“この人、わかってないなぁ”なんて思ってた(笑)。

それで4年くらいやったのかな。で、バンドが解散するきっかけって、僕が思うにレコーディングなんですよね。

──1stアルバムが出るというのに、不吉な話ですね(笑)。

そうですね(笑)。レコーディングをすると、お互いの音がそれまで以上に聴こえたり、そもそもこの曲はどうなのかということなんかが見えてきて、それについて冷静に話し合ったりするわけです。モスクワオリンピックも一発録りでレコーディングしてみたら、意見が食い違うことが多くて、それで解散しようと。それまでは、秋田の県民性なのか、みんな自分の意見をあまり言わないんですよね(笑)。で、僕と奥山はまた新しいバンドを始めようってことで、高円寺に高円寺文庫センターという本屋があって……角にあった頃ですね。その後移転し、閉店してしまったんですけど。そこに1枚だけメンバー募集の張り紙をしたんです。

すごく好きな本屋だったんですよ。カッコよく言うと、ここに来る人なら間違いないと思った……いや、完全に後付けですけど(笑)。

そうしたら一週間くらいで連絡があったんです。僕らは当時、ベルボトムを履いていたんですけど……。

短パンを履いた人がきました(笑)。

しかも短髪(笑)。

全然共通点を見出せなかったんですけど、とりあえず2人で作ったデモを渡して、“聴いてみてください”と。

ちなみにそのデモには「スージーキューティー」がすでに入っていました。

そうしたら“一度、スタジオに入りましょう”と連絡があって、一緒にやってみたら、めちゃくちゃ弾ける人でした。

その人が現在は井乃頭蓄音団でプレイしている大貫真也くんです。それで、テレサスリーというバンド名をつけて活動を始めたんです。10人集めて“テレサテン”にしたいなと思って(笑)。

いや、メンバーは9人で“10人目のメンバーは見に来ているあなたです!”って言いたかったんだよ(笑)。

そっか(笑)。その後、鍵盤と一緒にやってみたいってことで、女性が入ってテレサフォーになりました。

テレサフォーのイメージは、僕の中ではSmall FacesとBooker.T & The MG’sだったんで、絶対ハモンド・オルガンを入れたいと思って。

でも、鍵盤が必要ない曲が出来たりして困ったりもしたんですけど(笑)。結局、パンクっぽくやりたくなっちゃうんですよね。根がそっちなので。U.F.O.CLUBがリリースしたオムニバス・アルバム(編注:U.F.O.CLUB TOKYO JAPAN VOL.3/CTCD-522 UFO-003)に1曲参加したりしていたんですけど、やはり鳴かず飛ばずで…。

でも、モスクワオリンピックの頃はけっこうツッパッていて、ライヴで自分の出番が終わるとさっさと帰ったりしていたんですよ。そんな態度だからバンド友達が全然いなかった……今でもあまり友達はいないですけど(苦笑)。でも、テレサフォーでは打ち上げに出るようになりました。ちょっと大人になった(笑)。

今、サポートでベースを弾いてもらっていて、僕とは電化アベジュリーでも一緒にやっているイチローくん(藤岡 戸一朗)のやっていたチャーリーバイセコーとか、僕らの好みのバンドとも出会えたっていうのもあるよね。モスクワオリンピックのときは、ヴィジュアル系みたいなバンドと一緒になったりしたので。まあ、モスクワオリンピックの頃はめちゃくちゃだったから、ライヴハウスの方もブッキングしづらかったんでしょうけど(苦笑)。テレサフォーになってちょっとわかりやすくなったこともあって、友達ができるようなシーンにちょっと入り込めた。でもテレサフォーもレコーディングしてみたら、やっぱり食い違う部分が出てきてしまって(苦笑)。それで解散しました。27~28歳の頃ですかね。残念ながらメンバー9人は実現できませんでした(笑)。

レコーディングで食い違いが出てきたというのもあるんですけど、自分としては、その頃、バンドとしてかなり煮詰まっていたと思うよ。同じ曲のアレンジを次々と変えてみたり、スタジオで考え込む時間が増えていた。県民性なので(笑)、自分から解散しようとは言い出さなかったですけど、もうそろそろ……という雰囲気はあったと思う。

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ゴールデンシルバーズ

ゴールデンシルバズ

奥山 利徳(ギター&ボーカル)、菅 大智(ドラム&コーラス)による2人組のロックバンド。1977年、秋田県の南に位置するパンクロック発祥の街・デトロイトにて出生。
デトロイト中学(校歌がLAUGHIN’NOSEの「GET THE GLORY」)2年生の時に出会いバンドを結成。メンバーとバンド名を変え続けながら、以来二十数年経過。
2006年、クダラナさのあまり愛想を尽かされ遂にメンバーは2人だけとなりゴールデンシルバーズを名乗り始める。(ライブはサポートベーシストを交えての3人編成)
2012年から菅がドレスコーズに参加するためにゴールデンシルバーズは音楽活動を休止、楽器をグラスに持ち替え飲酒サークルとして都内を席巻する。2014年9月に菅がドレスコーズを脱退したため同12月24日にライブ活動を再開。

スージーキューティー Music Video

1st Album『Yesterday And Today』

Yesterday And Today

2015.10.21(wed) Release

redrec/sputniklab inc.

RCSP-0062 ¥2,400-(本体+税)

  • 【収録曲】
  • M-01. 悲しき残念賞
  • M-02. 人喰い族
  • M-03. スージーキューティー
  • M-04. オリワモウダミダ
  • M-05. Dr.スケベハカセの秘密の診療所
  • M-06. シーマイソウル
  • M-07. ヤンナッタ
  • M-08. ひるね
  • M-09. アブラアセ
  • M-10. ロックンロール
  • M-11. ヒップス・アー・オールライト
  • M-12. キーポンバーニン
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